小春日和の城跡巡り 鳴尾山・比延山(2001.11.23)


小春日和の晩秋

晩秋の3連休。小春日和の天候の予想で,外遊びには絶好の条件です。が,先週からひいている風邪が,イマイチすっきりせず,ゴホン!ゴホン!あまりハードな外遊びはひかえた方がいいようです。今日は,のんびり里山歩きといきましょう。

先日,極秘で入手した『播磨 山の地名を歩く』という本を見ていると,西脇に城跡のある山があるということです。ウン!城跡があったぐらいなら,きっと展望がいいに違いない。それに,標高は300mもないほどの超低山です。のんびり里山歩きには,ピッタリです。

  
P・@〜A
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鳴尾山城跡

まずは,鳴尾山(なきやま)です。「鳴尾」と書いて「なき」では「尾」の存在意義はないやないか?と,疑問をもってしまいます。どうして,「尾」は捨てられてしまったのでしょう。ナゾです。なお,この鳴尾山の道をはさんだ西側には,以前縦走した五峰山があります。もちろん,鳴尾山の送電線は,引尾山から来ているものです。

鳴尾山登山口は,東麓の旭ヶ丘団地の奥にあります。登山口への曲がり角には,鳴尾山城跡の案内板があります。鳴尾山城についての記述と,簡単な地図もあります。

鳴尾山城跡

 鳴尾山城は南北に連なる鳴尾山の北端の標高176m,比高110mの山頂に築かれています。

 城跡は山頂の主郭(南北20m,東西18m)を中心に土塁付の幅広い通路兼帯曲輪がとり巻き,曲輪のほぼ全周を石垣積みに改修している点で,その時期は戦国時代末期と考えられます。このころの山城は合戦の時にこもるための城で普段は見張り番だいるだけでした。そのため建物も粗末な小屋程度しかなかったようです。

 鳴尾山城は野村町の野村構梗居とセットとなる山城であったと推定され,城主は上原氏と考えられています。上原氏は戦国時代の混乱に乗じ這田荘重国郷の実権を握りますが,自立の困難さから自らも当時北播磨全域に覇権を広げていた在田氏の被官人となります。鳴尾山城は戦国時代の末期に北播磨進出を狙う三木城の別所氏に落とされ這田荘も別所氏の支配地となりますが,上原氏がその後どうなったのかわかっていません。鳴尾山城は,小規模ですが特徴的な構造をもち市内でも保存状態のよい城跡のひとつです。 

1994年西脇市教育委員会

城跡といっても,「粗末な小屋程度」というのは,オドロキです。城のイメージとは,ずいぶんかけ離れています。でも,これもその役目からは「城」なのでしょう。

案内板の前の道を登り,登山口へ行きます。「愛宕山神社参道」 「愛宕山入口 この上より登る」という案内板があるので,迷うことはありません。古い木の階段を登ると,きれいな山道です。落ち葉が積もり,その落ち葉に朝露がおりています。登山道は,しだいに北面に向き,すっかり日陰です。冬だと,きっと寒いでしょうねぇ。しかし,道はゆるやかで,ところどころには古い木の階段があります。「これなら,MTBで下れそう」なんてことを,すぐに考えてしまいます。

急な北面に張りつくように付けられた九十九折りの登山道は,しだいに高度を増し,と同時に,西脇の町が眼下に広がってきます。遠くは白っぽくモヤってはいますが,西脇の町がきれいに見えています。

九十九折りですが,整備されて歩きやすい道を歩くこと,20分。鳴尾山城跡の石柱の建っているピーク(@)です。お城の代わりに,今は愛宕山神社の祠があります。ここには,標識もあります。愛宕山神社の祠の前には「鳴尾山城本丸跡」があり,祠の裏には「本丸虎口跡」があります。ピークのすぐ下の高圧線鉄塔へ行く途中には,石で囲った「水場跡」があります。ピークのまわりは,曲輪になっているのがわかります。

  
鳴尾山山城跡・愛宕山神社 鳴尾山山城跡からの西脇の街並み
鳴尾山山城跡・愛宕山神社
鳴尾山山城跡からの西脇の街並み

高圧線は,鳴尾山三角点の方に続いています。ちょっと行ってみたい気もしますが,今日はお手軽山歩きだから,これで鳴尾山は終了としましょう。再び,ピークに戻り,九十九折りの道を下り始めます。と,右手に,踏み跡っぽいものを発見。?チョット探検。行ってみると「堀切跡」の表示板がありました。なるほど,ここが堀切かぁと歩いてみると,踏み跡はさらに続いているようです。先ほど,高圧線鉄塔から見た稜線に続く道のようです。おや〜?ナゾです。

鳴尾山ミニ縦走

山全体はそれほど大きくはないので,チョット寄り道してみましょう。始めは少しヤブっぽくなっていますが,それを突破すると,ナント!きれいな稜線の道の出現です。オオ〜ッ!チョッピリ感動。どこへ行っているのでしょう。稜線の向こうには,何かあるのでしょうか。少し歩くと,古いアンテナが放置されています。道はそこで途切れることはなく,さらに続いています。しかも,稜線なので,アップダウンの少ない快適な道です。これならMTBでも走れそうです。チョット残念。

稜線の真ん中をしっかりとした道がどんどん続いています。振り返ると,先ほどまでいた鳴尾山城跡が低く,小さく見えています。このあたりは自然林なので,道の積もった落ち葉がサクサクと快い音をたてます。青空の下,晩秋の日の光をいっぱいに浴び,少し暑いぐらいです。尾根は細いので,木立の間からは,西脇の街並みや周辺の山やまがきれいに見えます。もちろん,誰に会うこともありません。ただ,標高があまりないので,麓の道を行く車の音が聞こえてくるのはしかたがないのかなぁ。

岩場を過ぎ,小さなピークをいくつか過ぎた時,いきなり,前方でガサガサッという大きな音がしました。ギクリ!ウサギやタヌキのような小さな動物の物音ではなさそうです。ということは,…クマはないでしょう。イノシシかも。猪突されては困るので,こちらも大きな声で威嚇です。ガオーッ!ウワァ〜!ヒャッホ〜!…シ〜ン…どうやら退散してくれたようです。

シダの中を過ぎ,少し下ると,「火の用心153〜154」があり,巡視路と合流です。これで,一安心です。おなじみのプラ階段もあり,道がぐんときれいになりました。もちろん,MTBで走ることができます。こうなると,MTBをもって上がらなかったのが悔やまれます。

ところが,巡視路は,目の前の小さなピークを巻いて下っています。???小さいながらもピークなので,一応,チェックです。行ってみると,三角点(236.2)(A)がありました。この日は,お手軽里山歩きなので,地図は持っていません。よかった,よかった。もうチョットで三角点を見逃すところでした。ただし,この三角点は,展望がまったくありません。

  
鳴尾山三角点 西にある五峰山連山
鳴尾山三角点
西に見える五峰山連山

快適に下ると,赤白高圧線鉄塔です。角尾山からの送電線が伸びてきています。五峰山連山がきれいに見えています。南に蛇行しながら流れる加古川が,白く光っています。鉄塔や送電線がジャマですが,東〜南〜西の展望がきれいに見えます。鳴尾山城跡からここまでの縦走路は,MTB乗車率60%ほどでしょう。それにしても,鳴尾山城跡から巡視路までの稜線の道は,一体,誰が利用しているのでしょう。よく踏まれているところを見ると,それなりに利用する人も多いようなのですが。もしかして,麓の住人の朝の散歩コースでしょうか。

さて,これからは,ずっと下りのはずです。と,いきなりのプラ階段の行列です。これは,MTBでは,行けんなぁ。でも,脇をすり抜けるというテもあるかな。ところが,プラ階段を過ぎると,きれいな下り斜面です。こりゃあもう,MTBのために作ったようなシングルトラック(ST)です。ところどころ,倒木があるものの,傾斜といい,路面の状態といい,極楽ダウンヒルコースです。なんのこっちゃ!ホンマに,MTBを担いで来ればよかったよ〜!

部分的にはMTB乗車不能の所はあるものの,結局は麓まで極楽ダウンヒルが続いていました。最後は植林の中を抜け,加古川線の線路の手前に出てきます。線路の向こうは,旧R175です。登山口から下山まで,所要時間1時間。振り返ると,紅葉の林の上に赤白の大きな鉄塔が,真っ青な青空にそびえていました。今日は,見事なまでの小春日和です。

  
P・B
P・B

比延山

次は,比延山です。比延山は,西脇市比延町の東,城山公園が登り口です。お弁当を買い,城山公園を目指します。比延山が右手に見えるようになると,比延山の山容が三角形の富士山のように見えます。紅葉に囲まれ,きれいです。

比延山城跡

 ほぼ独立した急峻な山である比延山(標高289m 比高220m)の山頂に延長180mにわたって曲輪が築かれています。大きく北郭群と南郭群に分けられ、両者とも階段状に小さな曲輪を連ねている点が共通していますが,細かく観察すると,北郭群は曲輪の削平が不十分で曲輪の斜面(切岸)も緩やかであるのに対し,南郭群はそれぞれの曲輪がはっきりし,曲輪間をつなぐ通路ももうけられています。以上の点から,北郭群は南北朝時代に築城されたまま残され,南郭群は室町時代に改修されたことがうかがえるのです。このころの山城は合戦の時にこもるための城で,普段は見張り番がいるだけでした。そのため建物も粗末な小屋程度しかなかったようです。  

 比延山城は城主は本郷氏です。本郷氏は南北朝時代に当地に配置された赤松一族で,初代は本郷直頼といい,頼兼,頼木?と続きますが嘉吉の乱(1441)で没落し,復興後も比延山城には帰らなかったと伝えられています。この本郷氏の歴史は比延山城の現状とも一致しています。つまり,北郭群は直頼が築城したままのものが残り,南郭群は嘉吉の乱ごろの改修にかかるものと考えられるのです。

城山公園駐車場着。誰もいません。誰もいないグランドを横切り,南にある登山口から登ります。標識も建っているので,わかりやすい。近年,整備された登山道ということですが,よく踏まれたきれいな道です。ところどころに,頂上までの距離表示の標識があります。左手に西脇の街は見えますが,肝心の比延山山頂は見えません。

雑木林の中の道です。一旦,傾斜がゆるやかになりますが,その先からは山頂までの一気の急登です。道ははっきりしているので,迷うことはありません。山頂まで200mの表示からは,ロープが設置されているほどの急登です。汗が一気に噴き出します。振り返ると,西脇の街並みが木立の間から見えています。そして,山頂へ。

山頂(B)には,比延山山頂の石柱「比延山城跡」がありますが,展望は360度というわけにはいきませんが,南方面の数曽寺山塊が,逆光の中できれいなシルエットを描いています。ここでランチタイム。この山も,鳴尾山同様,誰もいません。ラジオでは,行楽のために高速道路が何十km渋滞なんて言っていましたが,そんなことには無縁です。どこまでも澄み切った青空と明るい太陽,これで風邪が治ってりゃあ言うことはないのですがねぇ。

ランチタイムを終え,北郭へ。長細い山頂には,南北にお城(小屋)があったということです。狭い尾根を通り,北郭へ。この北郭には,三角点(287.0)があり,岩場もあります。足元には,大岩壁が切れ落ちています。岩の上に立つと,360度の展望です。南には,数曽寺山塊,東には,西光寺山系,北には三角点山,白山,妙見山。はるか遠くには,篠ヶ峰も見えています。その左手には,千ヶ峰,その手前には,笠形山。西には,鎌倉山も見えます。さすがは,山城跡です。抜群の展望を楽しみます。

  
比延山から見る数曽寺山塊のシルエット 水面に映る三角点山
比延山から見る数曽寺山塊のシルエット
水面に映る三角点山

またもや,ミニ縦走

さて,これから下りです。ピストンで帰るのが確実ですが,北を見ると,踏み跡があります。なるほど!グルッと回れるのかぁと,自分の都合のいいように勝手に解釈。地図は持っていませんが,山自体が小さいので,迷ってもたいしたことはないでしょう。あいかわらず,前向き?お気楽?思考です。北の山の方からは,犬の鳴き声が聞こえてきます。きっと,猟犬なのでしょう。あんな猟犬に出会ったら,最悪です。そんな時は,どうすればいいのでしょう。

北向きに踏み跡を下ります。いきなりの急下りです。しかし,踏み跡はしっかりしています。右手に稜線が見えるようになると,傾斜がゆるくなり,快適な尾根歩きです。振り返ると,紅葉した葉から日の光が透き通ってこぼれてきます。足元は,サクサクの落ち葉です。夏場,あれほど悩まされたクモの巣は無く,快適な山歩きです。

ゆるやかな尾根道になると,赤いプラ杭が出現。と同時に,赤いタフロープも木に付けられています。あとは,この2つの目印を見逃さずに下るだけかな?シダの群生を抜け,どんどん下り,疎林に入ります。???木と木の間が空いているので,どこでも歩けそうです。踏み跡も不明瞭です。ここは要注意。疎林の中をウロウロ。あった!赤いプラ杭が疎林の端っこに。疎林を抜けると,緑のため池のほとりに出ます。水面には,北にある三角点山の姿が映っています。

あとは,東に伸びる山道を進むだけです。山道は,運送会社の駐車場のような所に続いています。駐車場を抜け,城山公園の駐車場へ。比延山周回も1時間ほどのコースです。お手軽とはいえ,山頂,特に北郭跡の岩場からの展望は,すばらしいものがあります。これからは,「山城跡」というのも,要チェックです。


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