春は名のみの…歴史探訪 白旗山〜鈴の森(2001.3.11)


  
P・@〜H
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数_曽寺山塊断念!

ここ数日の寒波に,すぐそこまでやってきた春が遠ざかってしまいました。ただ寒いだけならいいのですが,雪が降ったり,積もったりすると,山歩きwithMTBにはツライ!しかも,天気がころころ変わり,安定しません。そんな冬に逆戻りした早春の一日を,西脇の数曽寺山塊を縦走する予定でした。

加古川は青空。春を思わせる日差しが降りそそいでいます。今日は絶好だなぁとS田さん。気分よく,西脇に向かいます。ところが,西脇に近づくにつれて,雲が広がってきました。そして数曽寺山塊の麓に来ると,山は真っ白,空は黒い雪雲におおわれ,雪が降ってきました。これでは,山に登っても展望がなさそうですし,稜線は吹きっさらしのようです。こんなに降っちゃあ,ダメダメ。

急遽,白旗山へ

話はすぐにまとまり,上郡の白旗山へ。中国道から白旗山に向かいます。白旗山からの縦走の終点である「上郡鈴の森」の近くの河原に車をとめます。このあたりは,青空から春の日差しが降りそそぎ,先ほどの数曽寺山塊の天候がウソのようです。気分をよくして,MTBで出発!白旗山登山口の本村までは,舗装路を登ります。道すがら,東に見える小野豆高原をながめて,あれこれ。なだらかな稜線が,快適なMTBでの走りを思い出させてくれます。

ほどなく,本村に。パイプを使ったような白旗山登山道の標識(@)があります。近くには,白旗山の案内板もあります。標識に従って集落を抜けると,道は車でも通れる林道になっています。左手には,きれいな谷川が流れています。この道は近畿自然歩道にもなっています。薄暗い植林を抜け,雰囲気のいい雑木林を楽しみ,苔むした岩を左右に見ながら,快調に登ります。ところどころにシングルトラック(ST)が分岐していますが,作業道なのでしょう。

有害鳥獣駆除実施中!?

15分ほどで林道の終点(A)に到着。このあたりには,白旗山の案内板や五輪塔,古い石の道標「右しらはた 左あかまつ」,新しい道標「鞍居バス停2.6km 白旗城跡1.3km」などがあります。

白旗城跡
 白旗城跡は,標高440mの白旗山上にあり,南北朝時代の建武3年(1336年)に赤松円心が築城し,新田義貞率いる6万の軍勢による50余日の城攻めに耐えた堅固な山城です。
 以後,嘉吉の乱(1441年)により赤松氏が滅びるまで,白旗城は播磨・備前・美作3ヶ国の守護大名赤松氏の本城でした。
 築城当時の白旗城は,合戦の際山上の尾根を削って,少人数で立てこもる臨時の防御施設として築かれたと見られますが,現在のこる城跡の一部は,城郭が大規模化していった戦国時代に築かれたものとおもわれ,全長約470m,本丸・二の丸・三の丸・櫛橋丸・大手郭などの曲輪跡や堀切・土塁・石積などの防御施設がのこっています。
 白旗城へは,近畿自然歩道を利用して赤松側と野桑側から登ることができます。 上郡町教育委員会

ここからは,いよいよ登山道です。ところが,ここで気をつけなければならないことがあります。それは…。

「平成13年3月3日〜20日まで 注有害鳥獣駆除実施中 入山者のみなさんへ
 現在,有害鳥獣の駆除を実施しております。入山の際は,なるべく目立つ服装で入山し,事故防止にご協力お願いいたします。   上郡町」

これはいけません。「有害鳥獣」ということは,「有害人間」も駆除されてしまうのでしょうか。ついでに「口害有害○首相」も駆除してしまえ!なんちゃって。

  
林道終点の五輪塔 櫛橋丸跡
林道終点の五輪塔
櫛橋丸跡

登山道はガレ気味ですが,道の両側の岩は苔むし,歴史の重さを感じます。このあたりの岩は600年間以上も,この道を歩く登山者,あるいは武士たちを眺めてきたのでしょう。当時の武士たちは,600年後にMTBで登るわれわれの姿を想像だにしなかったことでしょう。今から600年後,どんな人がどんな姿でこの道を歩くのでしょう。これまた,想像だにできません。そもそも,この道自体が存続しているでしょうか。

しばらくすると,道標が出てきて,分岐点になっています。白旗山へは,右手の階段を登ります。以前,S田さんが白旗山に登った時は,この階段はなく,スリル満点の激下りだったそうです。しきりに残念がっています。でも,今日の予定では,この道を帰ることはありません。九十九折りの階段&急坂を登ります。

10分足らずで尾根の分岐(B)です。ここには,石柱「右あかまつ 左やま」と近畿自然歩道の道路標識「鞍居バス停3.1km 白旗城跡0.8km 白旗城五輪塔群1.1km」があります。尾根の西を下ると赤松の集落に行くようです。石の階段があり,白旗山へは,赤松からの道が正規ルートのようです。

尾根の分岐からは,尾根を北にたどるだけです。ボブスレーコースのような道を登り,片斜面のSTを進むと,櫛橋丸跡が左手のピークにあります。すぐ上のようなので,行ってみることにしました。急坂を登ると,見事な展望の櫛橋丸跡(C)です。北に見える,後山連山,宍粟郡の山々は真っ白です。西には,なだらかな稜線の山なみが見えますが,何がなんだかわかりません。東には,小野豆高原がなだらかに広がっています。もちろん,これから行く本丸のあるピークも見えます。この櫛橋丸跡は尖ったピークだけに,高度感もあり,本丸よりも眺めがスバラシイ!

一等三角点の白旗山山頂

櫛橋丸跡のピークから下り,再び登山道へ。ここからは,MTBに乗車可能です。なだらかな登山道に,気分をよしくして,本丸跡のある白旗山を目指します。二の丸のなだらかな台地を過ぎ,本丸跡(D)へ。ここには,一等三角点があり,白旗城の詳しい案内があります。苦手な歴史のお勉強です。

白旗城跡(赤松・細野・大富・野桑)
 白旗城跡は,標高440mの白旗山上にある南北朝〜戦国時代(14〜16世紀)の山城です。
 建武3年(1336年)に足利尊氏に与した赤松円心によって築かれ,新田義貞率いる軍勢による50余日の城攻めに耐えた堅固な城です。以後,嘉吉の乱(1441年)で赤松氏が一旦滅びるまで,播磨・備前・美作の守護大名赤松氏の本城として固守されました。
 現在のこる縄張は戦国時代に築かれたもので,全長約550mを測り,尾根上や南谷筋に本丸・二の丸・三の丸・櫛橋丸・馬場丸・侍屋敷・桜門と伝えられる曲輪跡や堀切・土塁・石積などの防御施設がのこっています。
 城跡へは,細野口・野桑の両方から山陽自然歩道を通って登ることができます。白旗城跡は,感状山城跡(相生市矢野町)・置塩城跡(飾磨郡夢前町)とともに国指定史蹟になっています。

白旗城年表
1336年(建武3年) 赤松円心,白旗城を築城。新田義貞の軍勢に対する50余日の籠城戦に耐える。その功により円心,播磨守護職に。
1361年(康安元年) 南朝の軍勢京を占拠。赤松則祐,足利春王丸(後の3代将軍義満)を白旗城に迎える。
1427年(応永34年) 赤松満祐,4代将軍義持と対立して下国。白旗城に籠城準備。後に和解。
1429年(永享元年) 満祐,播磨国の土一揆鎮圧後,白旗城に白旗降下の瑞兆を報じ,勅使の下向を乞う。
1441年(嘉吉元年) 嘉吉の乱。赤松氏城山城に一旦滅亡。白旗城も落城か?
1454年(享徳3年) 赤松則尚,播磨奪回を目指し白旗城に陣する。
1499年(明応8年) 守護代浦上則宗とその部将宇喜多能家,白旗城に籠城し敵の浦上村国を退ける。
1520年(永正17年) 播磨守護赤松義村,守護代浦上村宗と対立し白旗城に陣する。

塔の前で,ランチタイムです。ところが,またもや,今回も汁物を忘れてしまいました。しかも,S田さんがわざわざ買ってきてくれた「こうどん」なのに。アルツ,極まれり!というところです。ランチの後は,三の丸へ。本丸から北に行ったすぐ下の段です。展望はこちらの方がいいかもしれません。本丸は,木立があるので,展望がいいとは言えません。

  
山頂にて 山頂直下の下り
山頂にて
山頂直下の下り

快適な下り道

本丸に戻ると,お楽しみの分岐までの快適ダウンヒルです。早速,二の丸への下りで,写真撮影です。平らな二の丸(C)を通ると,櫛橋丸との鞍部です。この道も,落ち葉が敷き詰められた快適な道です。500年以上も前の人たちは,この道をMTBが通るなんてことは,これまた想像だにしなかったことでしょう。いや,100年前の人だって想像できなかったことでしょう。技術の進歩というのは,目覚しいものがあります。

櫛橋丸への分岐を過ぎると,岩場の多い道になり,しだいに道の両側が盛り上がったボブスレーコースのような道になります。これはおもしろい!両側の切れ落ちたSTは恐怖ですが,ボブスレーコースは安全です。気分をよくして,分岐(B)着。ここからは,南西の尾根を登り,「上郡鈴の森」への縦走です。

縦走路へ…いきなりの迷走!

細い尾根ですが,きれいなSTが続き,下りなら乗車可能です。登りなのが,くやしい!押しと担ぎで,ピーク(E)着。STはピークを巻いて下の谷に下っているようです。なだらかなピークですが,よく見なければ,踏み跡がわかりません。倒木をまたぎ,踏み跡をたどると,左手に白いタフロープが現れてきました。これは,困りものです。細くほつれたタフロープがMTBの回転部に巻きつき,メカトラブルになるからです。松茸山には,よくこのテのロープを使っていますが,細くほつれたタフロープが風になびいている様は,わびしいものがあります。

タフロープと張り出した木の枝のために,MTBに乗るのはままなりません。でも,強引に乗っていると,右手に千種川が見えてきました。チョット行き過ぎたかな?引き返して,南に下る尾根を調査。でも,この尾根は下る一方です。これでは,三角点のある400.3には行けません。おかしいなぁ?もう少し引き返して,南の尾根へ。ここは踏み跡があり,両側にはタフロープがはってあり,明らかな道です。しかも,MTBで快適に下れます。しばらくして,ストップ!こんなに下ると,三角点のある400.3はありません。おかしいなぁ?じゃあ,三角点のある尾根はどこ?

あちこちをウロウロ,結局,先ほどのピーク(E)に戻り,距離を確かめることに。OLでも,迷ったら,わかっているところまで戻って考えるというのが,定石です。ところが,ピークが思ったよりも近かったことが判明。つまり,われわれが考えたほど進んでいないというわけです。MTBに乗ったり,押したりすると,距離感がますますわかりづらくなってしまうようです。

タフロープたなびく縦走路,ゴミだらけの山

ということで,考えていたほど進んでいないということが判明し,再び尾根道を進みます。あいかわらず,延々とほつれたタフロープが続いています。しばらくすると,急なピーク(F)が現れました。踏み跡は,左にピークを巻いているようなので,迷わず左へ。ところが,これがとんだ失敗です。間もなく,尾根を下るSTと合流しています。あたりには,シートを初め,空き缶,あきびんなどが散乱しています。この山の持ち主が,松茸狩りの際に飲み食いしたあとのようですが,これはチョット…。

尾根道をまたもや,快適に下ります。が,これまた方向がヘンです。東に寄りすぎているのです。ということで,この道もダメダメ。結局,ピーク(F)に登り,進むべき方向を確かめ,下ることに。やはり,下りは迷いやすいものです。注意,注意です。

  
400.3の三角点 ほつれたタフロープがたなびく尾根道
400.3の三角点
ほつれたタフロープがたなびく尾根道

三角点のある400.3のピークからは,地形図では等高線の間隔はあいているのですが,STが踏み跡程度なので,MTBに乗ることはできません。う〜ん,くやしい〜!316のピークからは,急な下りです。張り出した草木のためにMTBを押すこともできず,担ぎっぱなしです。つまり,担ぎの下りです。これはもう,かなし〜い!サ・イ・ア・クです。

と,前方に送電線を発見。鉄塔まで行けば,巡視路でMTB乗車可能になることでしょう。喜んで鉄塔に行くと,これはなんと小さな鉄塔!まるで電柱です。しかも,巡視路は谷に下っています。これではあきまへん。再び,尾根道を登ります。いつになったら,鈴の森に着くのでしょう。あいかわらず,ほつれたタフロープは続いています。さらには,松茸泥棒を見張るため?のテントまであります。松茸の本場,篠山でもこれほど厳重な取り締まりを見たことがありません。しかも,テントの付近には,飲食したガラが散乱しています。こんなにゴミだらけの山に松茸なんて,生えるのでしょうか。

ようやく「上郡鈴の森」

急な尾根を登っていると,遊歩道に出てました。「散策路(惣尻集落へ)1.4km あずまや0.6km 展望舎0.1km」 三角点のある243.3のピークは,すぐ上です。ようやく,鈴の森に到着したようです。すでに,太陽は西に傾いています。白旗山山頂から尾根を下るだけで,4時間近くを要しています。しかも,そのほとんどが,乗車不能。それどころか,草木やほつれたタフロープがMTBにからまり,MTBは単なるジャマものです。なんとも,悲しいルートです。

三角点(G)を確認し,遊歩道をのんびり走ります。ところどころ,木の階段があります。もうこれは,遊歩道につきもののようです。

アカマツ―モチツツジ群集
 この林は松(アカマツ)の低木林です。日本の松林は,林内に生育するツツジ類との組み合わせでいくつかに分けることができます。
 この地方の松林は岡山県中部の瀬戸内海側から静岡県中部までの太平洋側にかけて広がっているタイプで,
モチツツジが特徴的に出てきます。
 尾根沿い一帯は松茸を収穫するために,これまで繰り返し落葉かきなどの管理をしてきたので土がほとんどなく,痩せ地に強い松は生育することができますが成長はよくありません。このような土地には,
ナツハゼネジキなどのツツジ科植物やガンピネズミサシコシダなどの明るく乾燥した土地を好む植物が多く見られます。(平成7年里山林整備事業)」

尾根の遊歩道からは,麓の村や上郡の町,千種川の流れが一望できます。「展望舎0.2km あずまや0.3km 鈴の宮神社(健脚向)」 さらに尾根道を進み,尾根の終点のあずまやへ。ここからの展望もすばらしいものがあります。

詠・松山  至雅誠
清峰光洸 輝松山   山頂霧起 紫雲漂   大地青清 瑞鳥翔   聞老鴬声 文月朝

最後の下りにかかります。ここも木の階段の多い道です。MTBに乗ったり,押したりです。

ネザサ群落
 この草地は,もともとコナラアベマキなどの樹木で被われた林でしたが,桜を植えるために伐採され,今では一面(ネザサ)で覆われています。
 一度伐採された場所が元の
コナラの林に戻るためには,最低でも20年程度かかります。
 笹は丈夫な根(地下茎)をはり巡らし,密生した茎は冬も枯れないので,この草地へは樹木など他の植物がなかなか侵入できません。
 ここでは笹を刈り取り,
コナラアベマキヤマザクラの苗木を植栽して育てる区域を設けました。(平成7年度里山林整備事業)」

下りきったところは須賀神社(H)です。ここにも漢詩?があります。

詠・大寿岩  至雅誠
浄峰鎮静  鈴宮社   仰視荘厳 大寿岩   巍然御姿 座山丘   只々頭垂 伏合掌

石碑の裏には,次のような一文があります。

須賀神社
ふるさとを眼下に見下ろす荒神山と後山が私達の心の寄りどころとなり更には健康づくりの場となることを希う地区民の切なる願いを実現するためその核となるこの社の大改築を行いました

和歌まであります。

「和歌 後山 清水
後山 光雲たなびく 鈴の宮 椿の森や 名老の森

最後に「上郡鈴の森」の案内板の前に出てきて,本日のツーリングは終了です。

上郡鈴の森
 この山は,尾根にアカマツの林,その他はコナラアベマキの落葉の林が広がっています。また,鈴の宮神社からあずまやへいたる遊歩道沿いには桜が植えられ,春には美しい花を楽しむことができます。あずまやとさらに奥の展望デッキからは,千種川の清流や市街が一望することができ,時の経つのをしばし忘れさせてくれるでしょう。

今日のツーリングは,MTBにはあまり乗車できませんでした。しかも,縦走路に入ると,ほつれたタフロープがなびいている上に,木の枝が張り出し,歩いても快適ではないかもしれません。でも,このルートが,もっと一般的になれば,つまり整備されれば,白旗山だけでは物足りない人にはちょうどいいルートになることでしょう。ゴミを散乱させている山主さんに,一考をお願いしたいものです。


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