’02Finalもヤブ漕ぎ&極楽尾根道 平井山(2002.12.31)


  
P・@〜G
P・@〜G

お手軽?コース

1年間続いた2002年が,いよいよ今日でおしまいです。つまり,大晦日。ここ2年間は,大晦日にも山に行っています。昨年は加古川の高山縦走,一昨年は増位山・広峰山から奥須加院へ縦走。どちらも,ヤブ漕ぎに精を出したルートです。今年の大晦日こそはお手軽コースを,ということで三木の平井山周辺に行ってみました。

地形図では,破線のルートが明記され,等高線も間隔が開いているので上り下りとも緩やかでしょう。地形図通りならば,MTBで乗り乗りルートのハズです。3年目にして,ようやくお手軽コースとなるのでありましょうか。

散歩道?

まずは,竹中半兵衛の墓(F)とやらを見物。その後,車を与呂木の神社前(P)に置き,MTBで出発です。まずは,東の尾根を目指します。昔からの集落を抜け,新興住宅地を登ると,突き当たり(@)で尾根に向かって山道が登っています。脇にはコンクリートの溝が続き,奥にはコンクリートの階段があります。いったい,こんなところに何があるのでしょう。登ってみると,四角い貯水タンクです。なるほど。その貯水タンクの左にきれいなシングルトラックが延びています。これが,地形図にある破線の道のようです。

破線の道は,さほど高低差はなく,MTBで乗り乗りです。ただ,何ヶ所かで右手がガケになっているのが要注意です。しかもこのガケ,高さが1mや2mじゃありません。5〜6mはあります。落っこちると大変です。場所によっては,足元までえぐれている所もあります。それにしても,このガケ,人工的なものやら,自然にできたものやら。なんとも不可解なガケです。

とはいうものの,STは落ち葉の道で,倒木もありません。S田さんは,近くの団地の人の散歩コースだろうと言っています。なるほど!味気ない舗装路を歩くより,こんな山道を歩く方が楽しいでしょう。三木って,地形図を見ると,こんなSTが至る所にあります。残念ながらゴルフ場のためになくなったSTも多いのですが,短いながらも,近くに山道があるというのは楽しいものです。

破線は何処へ?

木立に囲まれたSTを気持ちよく走り,分岐点(A)へ。実際には,この分岐点は,地図にあるより少し手前です。散歩コース?は,ここから下に下っています。地形図では,破線は尾根に続いています。尾根を見ると,踏み後らしいものはありますが,ヤブっぽいうえに倒木もたくさんあります。しばし,S田さんと協議。散歩コースで下りたいのは,やまやまなれど,その先はどこへ行っているかがわかりません。しかも,我々が行こうとしているルートは,明らかに尾根道です。しかたなく,極楽散歩道から分かれ,ヤブの中の踏み跡へ。

いきなり,どこからか,ブルン!とイノシシが鼻を鳴らすのが聞こえます。こんな里山でもイノシシがいるのだ!シシ鍋だ〜!お気楽な思いとは,逆に道はしだいしだいにヤブっぽくなってきます。最初の10mほどは,MTBに乗って進めたものの,倒木とヤブでMTBは単なるお荷物となってしまいます。地形図では,この道は破線で表示しているのに!と,グチっていてもしかたがございません。前進あるのみです。ヤブを突き進み,平井山トンネルの上部を目指します。

と,前方のシダの中から犬の顔がヌ〜ッ!ドキッ!が,そのあとから人間が登場。どうやら,散歩の人のようです。それにしても,こんなヤブを散歩とは,物好きな人がいるものです。こんなヤブを,MTBを背負って歩いている我々も物好きといえますが。その人の話によると,平井山ぶどう園から登ってきたとのこと。これからも同じようなヤブとか。ちょっとメゲてしまいます。ところで,あの犬は,シダの葉の下を歩くのですから,シダの胞子やホコリで大変でしょうねぇ。物好きな飼い主に飼われたものです。

大晦日もヤブ漕ぎだ〜!

  
快適散歩道 三角点 点名安福田
快適散歩道
三角点 点名安福田

シダを漕ぐこと20分。ようやく三角点(四等三角点 点名安福田 158.3)に到着。これで現在地が確認できます。三角点からは,ゴルフ場の敷地に沿って進みます。その境界には,サビついた有刺鉄線があります。ヤブ&有刺鉄線のW攻撃です。こりゃあ,マイッタなぁ。有刺鉄線に気をつけながら,ヤブを漕ぎます。シダも密生していて,そのシダに隠れて倒木もスタンバっています。MTBにツルがからみつき,イバラでチクチク。これじゃあ,先日の愛宕山の再現です。大晦日だというのに,毎年,何でこうなるの!?今年こそは極楽を,と思って選んだルートだというのに。ただ,先日の愛宕山とは違って,ほとんど高低差がないのがスクイです。

有刺鉄線に気をつけながら進むと,今度は左手にぶどう園が見えます。ここが平井山ぶどう園なのでしょう。尾根をさらに進みますが,もうこれ以上進めません。しかたがないので,ぶどう園の道を使って,迂回をします。

ぶどう園の奥には,山陽自動車道の工事に使ったと思われる赤白の標示が立っています。その脇には,きれいな山道が延びています。今までのヤブ漕ぎから解放され,MTBで気持ちよく走ります。しばらくすると,左手にゴフル場のコースが見えてきます。しかし,プレーをする人は見えません。やはり,こんな大晦日に,ヤブを漕いでいる人はいても,ゴルフをする人はいないのでしょうか。

はじめは快適だった山道は,ついにシダのヤブに変わり,またもやヤブ漕ぎです。シダは背丈ほどになっている所があり,倒木もあります。トンネル手前にあるはずの破線の道は,結局,見つからず。トンネル上部に来ると,右手に舗装路が見えます。側道の終点のようです。しかし,我々のヤブ漕ぎは終点を迎えてはいません。まだまだ続きます。小さなピークを巻くと,シダの中の山道の出合い(B)ます。これが,地形図にある破線の道でしょう。ようやく道に出て,ホッと一息です。

  
シダの中で… 何でこうなるの?! ゴルフ場の向こうに小野・社の丘陵地帯
シダの中で… 何でこうなるの!?
ゴルフ場の向こうに小野・社の丘陵地帯

ようやく山道へ

山道は,左手のピークを巻きながら進み,北に向いた所で,右手に下っています。このあたりは,地形図とは違った道になっています。地形図にある道はなくなっているようです。少しヤブを漕ぐと,右手の谷から登ってきた道と合流。その先には,石像のある分岐点(C)になっています。石像は,大正時代に建てられたもので,道標ともなっています。また,ここには巡視路の「火の用心」もあります。このあたりは巡視路となっているのでしょう。これから北に向かって極楽尾根道が延びているはずです。が,左手の山道が気になります。少し探検です。

山道には倒木はあるものの,巡視路らしくきれいな道です。後日,S田さんが調査したところによると,この巡視路はゴルフ場の中の鉄塔に向かっているそうです。本日,2つ目の三角点(三等三角点 点名大谷 189.2)は,巡視路から左手に少しはなれた林の中にあります。この三角点からは,ゴルフ場が見え,その向こうには,小野や社の丘陵地帯が一望できます。ゴルフ場では,何組かの人たちがプレーをしています。こんな大晦日に,しかもこんな不景気にゴルフとは…。いわゆる,「勝ち組み」の人たちでしょうか。今の日本って,本当に不景気なのかなぁ。

苦あれば楽あり!

再び,分岐に戻り,待望の極楽シングルトラックの下りです。しかも,巡視路なので路面の整備も完璧でしょう。喜び勇んでGO!やはり,極楽極楽。今までのヤブ漕ぎのご褒美です。尾根道の両側にはゴルフ場が見え,ちょっと興ざめですが,やむを得ません。貧乏性の我々には,この極楽尾根道を一気に下るのはもったいない。写真を撮りながら,少しずつ下ります。そしてようやく高圧線鉄塔(D)へ。ここでランチタイムとします。暖かい冬の日と電磁波をいっぱいに浴びながら,温かいトン汁仕立てのこうどんが美味い!ガスも,快調に燃え盛っています。いつものように,食後のコーヒーをいただき,極楽ダウンヒルの再開です。

  
極楽尾根道ダウンヒル!
極楽尾根道ダウンヒル!

巡視路は,途中で右手のプラ階段を下っていますが,尾根道は直進です。案の定,巡視路から外れたとたんに,倒木が増えてきます。S田さんは,今度来た時のためにと,倒木を取り除いています。もう,二度と来ることがないであろうボクは,あまり力が入りません。とはいえ,やっぱりジャマなので,とりあえずは除去作業に。そして,極楽ダウンヒルを再開。何ヶ所かで倒木の除去作業をし,極楽ダウンヒルは終点へ。

終点の墓地(E)には,「近畿自然歩道 大日神社0.9km  伽耶院4.7km」の標示があります。これからは,近畿自然歩道を走って帰ります。途中で,美嚢川の甌穴(G)を見物。岩盤に,まるでドリルでくりぬいたような穴がいくつも開いています。川には沈下橋もあります。ここをMTBで走ると,けっこうスリルがあります。甌穴見物を終え,本日の里山ツーリングはめでたく終了です。

一年の締めくくりとなる大晦日に,今年もまた,ヤブ漕ぎをしてしまいました。昨年と違うのは,そのあとに極楽尾根道ダウンヒルがあったことです。しかし,これも今年一年を締めくくるのにふさわしいといえるでしょう。今年一年を象徴するツーリングとなり,メデタシ,メデタシ。

  
竹中半兵衛の墓 美嚢川の甌穴
竹中半兵衛の墓
美嚢川の甌穴

竹中半兵衛

一世の軍略兵法家として知られた竹中半兵衛重治は,初め斉藤龍興に属し,後に織田信長に従い,秀吉と共に各地を転戦し殊勲を立てました。しかし,三木城攻防戦がたけなわの頃,平井山の陣中に胸を病み,一時は京都に移って療養していましたが,固着した戦況を心配し此の地に帰ってきました。けれども,病魔には勝てず天正7年6月13日,36歳の若さをもって永歿しました。臨終の時,秀吉に対して将来の「天下人」と予言し息を引き取りました。秀吉は,「お先まっくら」と人前もはばからず遺体にとりすがったといわれます。

(1) 三軍誰不欽英風   力病猶従征戦中   只猴郎唱功業大   何知籌策出千公
(2) 一夜行営落大星   惜君萬方不見寧   隆盛狐塚平山翠   猶是天正舊典型


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