アフターレースに ちょいと霊山(2005.8.28)


  
P・@〜B
P・@〜B

シマノ鈴鹿ロードレースは,無事終了。予定通りのレース結果で,満足,満足。あとは,帰るだけですが,このまま帰るのももったいない。せっかく,鈴鹿まで来たので,お手軽な山に登ってみましょう。ということで,選んだのが霊山。柘植ICから近く,しかも登るのにそれほど時間がかからない。さらに,山頂からの展望がいい。という好条件のお山です。残念なのは,MTBを担いで上がっても,下りはあまり乗れそうにないということ。しかも,おいらのMTBは前輪のハブシャフトのネジがなくなり,前輪をはめることができません。つまり,どちらにしてもMTBには乗れないということです。

の霊山は,山頂に寺院跡があるそうです。また,ふもとの霊山寺には石仏が多いそうです。霊山の東にある田代池から登るコースが一般的なようで,地形図を見ても等高線から判断すると,勾配が緩やかなようです。ですが,田代池のほとりに行くにはかなり南をまわりこまなければなりません。時間的には,霊山寺から登る方が早そうです。霊山寺からのピストンコースでいきましょう。

柘植ICを下り,西に進むと,霊山寺の案内があります。これは助かります。案内板に従って進むと,名阪国道をくぐったあたりで,正面に霊山が見えてきます。地形図通り,南北になだらかな稜線が延び,山頂付近には電波塔が見えます。これがインドの霊鷲山に似てるのかなぁ。実物を見たことがないのでなんともいえませんが,こんな山ならどこにでもありそうです。それとも,見る角度が違ってるのかな?

霊山寺縁起
日本に霊山といはれる山が三山あり 何れもがお釈迦様が法華経を説法されたインドの霊鷲山から霊山と名付けられた。その内の一つの当寺は,弘仁年中嵯峨天皇の勅願によって霊山山頂に国家鎮護のため伝教大師(天台宗=最澄)に勅命して創建された。その後平治の乱の時に源頼朝が平清盛に生け捕られ 伊賀の国主平宗清に預けられた時,当寺に助命の祈願をされたところ伊豆国蛭ヶ島に流された。源家一統の世となり 頼朝がお礼に伽藍や大鏡を寄進した。天正9年9月27日 第2次伊賀天正の乱の時に織田信長の兵火により諸堂が焼失した。延宝年間???転輪寺の僧端見が 霊山の中腹に寺を再興し 黄檗宗となり現在に至る。山頂奥の院には 青銅の観音立像(1675年作)が石造台座(1295年刻名有)の上に安置され 本堂内には木造十一面観世音菩薩が祀られる。戦後2度の発掘調査により 平安時代の経塚や平安時代から江戸時代にかけての一大寺院跡ヶ発見された。霊山からの湧き水は 天下の名水(霊水)で淀川の源泉であり 松尾芭蕉の産湯にされた。当寺は脳卒中・中風・癌封じや入学祈願にご利益がある。

●三重県指定文化財
  霊山山頂遺跡  聖観音立像・寺院跡  平成2年3月27日追加指定並びに名称変更
  アセビ・イヌツゲ群生地  昭和27年6月1日指定
●伊賀町指定文化財
  十一面観世音菩薩 平成元年4月1日指定
  霊山経塚遺跡銅鏡 平成元年4月1日指定
  イチョウの大木
  霊山寺石仏群
  妙見菩薩
●県指定 青少年野外活動施設あり 宿泊定員30名

案内に従って霊山寺(P)着。木立に囲まれた境内は,ひっそりと静まり返っています。本堂の脇には住居があり,休憩所や鐘撞堂もあります。さらに進むと,畜魂供養之碑というのがあり,食用肉で有名な伊賀牛を供養しています。

  
霊山寺 霊山寺の石像群その1
霊山寺
霊山寺の石像群その1

伊賀牛 40周年記念カプセル埋設碑   畜魂供養之碑

霊山への登山口は,その碑の奥です。少し歩いていると,前から第一村人発見!「何,されてるんですかぁ?」とは聞けず,「霊山へはこの道を上ればいいのですか?」「ヒルは出ませんか?」この質問に対して,第一村人は「ヒルはいないけど,ヘビが多いよ」だって。ヘビぐらいなら,血を吸うわけじゃないので許しましょう。

それにしても,登山道の脇には石仏がたくさんあります。そのどれもが,緑のコケに覆われ,年代の古さを物語っています。最初は幅の広い林道ですが,まもなく,山道に。林道はその先にも延びていますが,夏草が生い茂り,廃道状態です。山道の入り口には「登山口」のコンクリート柱があります。地形図によると,これから急登の連続のハズ。少し上ると,正面にコンクリート製の木の階段が続いています。なるほど,地形図通りの急登です。早くも汗がふき出します。幸い,木立の中なので直射日光は当たりません。立ち止まると,爽やかな風も吹いてきますが,オーバーヒート気味の身体には焼け石に水。流れ出る汗を拭き拭き,急な上りを登ります。

  
石像群その2 石像群その3
石像群その2霊山寺
石像群その3

植林を抜けると,山道は斜面を横切るように延び,その先には六地蔵が彫られた「六地堂」があります。その先には,アセビのトンネル(@)があります。春に来ると,花のトンネルとなるのでしょう。そのトンネルを抜けると,草地の尾根です。ここにもベンチが設置されています。この尾根からは少し展望が開けていますが,大パノラマというわけではありません。この登山道は,木立の中を上っているので,ほとんど展望はありません。その代わり,直射日光を受けなくてすむので,今日のような暑い時期などは助かります。

  
六地堂 アセビのトンネル
六地堂
アセビのトンネル

草地の尾根を過ぎ,緩やかになった山道を進むと,道の脇にたいこ岩があります。丸い岩がスパッと切れたように割れ,その割れた丸い面が太鼓のようです。でも,その岩にも落書きがあります。「大日如来」!これって,今風に言えば,暴走族が「阿修羅参上!」とか落書きしているのと同じ感覚です。昔の人は,どうしてこうも,珍しいものを見ると落書きをするのでしょう。なかには,落書きだけでは物足りないのか,岩壁に像を彫ったりするんだもん。物好きというか,ヒマというか。今も昔も,同じような人種はいるものです。また,そんな落書きを有難がる人もいたりして。何をか言わんやです。

  
たいこ岩
たいこ岩

たいこ岩を過ぎると,路面はぬかるんできます。この先の小さな谷から水が流れているのです。あたりは,寺院跡らしく石の階段があります。霊山寺からの登山道は,山頂にあった寺院の参道だったようです。

石の階段を登りきると稜線に標識(A)があります。

霊山寺1.8K→  ←田代池2.0K 阿波新大仏寺7.2K  
霊山0.3K 芭蕉公園5.1K 柘植駅6.2K 余野公園9.3K→

田代池からのコースと合流し,北にある霊山山頂を目指します。この稜線も木立に囲まれているので直射日光が当たりません。しかも爽やかな風が稜線を吹き抜けるので,涼しいこと,涼しいこと。至福のひとときです。

山頂の途中には,展望ポイントがあり,ベンチも設置されています。でも,こんなところで展望を楽しむより,少し上れば山頂です。山頂で360度の展望を楽しみましょう。山頂手前の石段を登ると,霊山山頂(B)です。山頂は,中央部がへこみ,三角点は西よりにあります。中央部のへこんだところには石室があり,その手前には五輪塔などもあります。電波塔は山頂から少し東寄りにあり,その造りは山小屋風です。

  
霊山山頂 山頂の電波塔
霊山山頂
山頂の電波塔

県指定史跡  霊山山頂遺跡
伝教大師(最澄・天台宗)が嵯峨天皇の勅願により,弘仁年中(810〜823)国家鎮護のために山頂に大伽藍を創建させたもので,山の姿がインドの霊鷲山(りょうじゅせん)によく似ていることからこの名が付けられたと伝えられる。
昭和60年〜平成元年(1985〜1989)の5年間,山頂付近全域の踏査及び三号地の発掘調査などによって,山頂が平安時代〜江戸時代初期にかけての一大寺院跡であったことが確認された。
三号地は幾度も繰り返された最後の整地面で,建物跡の基礎石は 墓地の五輪塔の地輪を転用したものであり,遺物などから,中世から近世初めにわたる寺院跡であることがわかった。

                  伊賀町教育委員会

  
霊山山頂の三角点 山頂から見る伊賀の町
霊山山頂の三角点
山頂から見る伊賀の町

山頂からは,期待通り,ほぼ360度の展望があります。残念なことに,モヤのために遠くが白くかすんでいます。それでも,ふもとの伊賀の町や奈良の山々。東を見ると,山並みのなかにひときわ目立つ鋭鋒があります。あれはなんていう山なのでしょう。ふだん馴染みのない奈良県や三重県の山なので,何がなんだかわけワカメです。こんな時にモバイルPCを取り出し,カシミールで調べるとわかるのでしょうねぇ。

展望を楽しみ,山頂を散策し終えると下山です。下山はピストンなので超簡単。当然のことながら,時間もあまりかからず,あっけなく下山です。数時間前のにぎやかなレース会場とは対照的な静かな山歩き,こんなギャップも楽しいものです。2日間開催のシマノ鈴鹿ロードレース大会でしたが,途中で神戸に帰るという忙しさはあったものの,3つのレースに参加でき,その帰りには山登りまででき,大満足の充実した2日間でした。これはもう,やめられまへんなぁ。

  
ふもとから見る霊山
ふもとから見る霊山

 

霊山寺13:40  田代池コース分岐点14:10  霊山山頂14:15〜14:25  下山15:00


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