洞窟や朝倉どもが夢の跡 内倉山(2005.8.20)


  
P・@〜C
P・@〜C

またもや但馬へ

お盆が過ぎたというのにまだまだ暑い!山行きだって,できるだけ涼しい標高の高い山に行きたいものです。里と数百mしか標高の変わらない低山は暑いだけです。ということで,今回も但馬にやってきました。ところが,いつものように?S田さんがご一緒ということで雲行きが怪しい。S田さんは先週も但馬に来たそうですが,その時は雨だったとか。さすが,但馬の雨男です。その強力な雨運を四国の早明浦ダムにプレゼントしたいほどです。

雲は多いものの,雨の兆しはなし。美方町の実山地区に着き,まずは案内板で登山道を確認。どうやら,集落の最上部から林道を通って登るようです。林道は軽4WD車がお薦めだとか。行ってみると,なるほど,路面はそれほど荒れてはいませんが,道幅が狭い。普通車でも行けそうですが,ちょっと…。ということで,神社の前の広場(P)に車をとめ,出発です。左手には山の斜面を利用した棚田が続いています。その周りを害獣除けの電柵が取り囲んでいます。でも,高さは1mにも満たないので,鹿除けということではなさそう。イノシシかなぁ,タヌキかなぁ。

案内完備登山道

右手の谷に沿って登っていると,その谷に滝が出現。落差は10mもないほどですが,名前がついてもおかしくないほどの滝です。これは下山後の水遊びにピッタリと思われましたが,その滝へ行くのが大変。しかも,谷から上り返さなきゃあならないので,汗だく必至。ということで,この滝は見るだけやね。

  
林道脇の無名滝 棚田
林道脇の無名滝
棚田

林道は九十九折になり徐々に高度を上げています。森の中を抜けると,左手に棚田が広がっています。しかも,この時は野良仕事をしている人がいました。こんな山奥にまでと思うものの,きれいに手入れされた棚田では稲が穂を垂れ,収穫の時期を待っています。さらに林道を登り,案内板( 峰山観音(標高760M)・内倉洞窟(標高870M )東方向の一番低い稜線をめざして下さい  稜線分岐点まで約1,060M)を過ぎると,またもやきれいに手入れされた棚田が!ここにも野良仕事中の村人が一人。距離が離れているので,「何してるんですかぁ〜」とも聞けず,軽くあいさつをするだけ。ちょっと残念。振り返ると,ニューおじろスキー場が見え,旧美方町と温泉町との町境の山々が見えます。

棚田を過ぎ,森の中に入っても林道はまだまだ続きます。薄暗い植林の中の林道ですが,MTBだと快適に下れそうです。やがて,林道は終点に。林道は山道に変わります。と,正面に岩にかかれた句( 「月いづる 舞台は ?に峰観音」 美千代 ・  内倉洞窟峰山観音 )を発見。その向こうの岩には観音山と内倉洞窟の登山道を示す刻字も。登山道の案内板も所々にあるうえに,岩にも刻字とは。念の入ったことです。

  
案内板その1 案内板その2
案内板その1
案内板その2

展望の新道へ

植林の中の山道は九十九折りに高度を稼いでいきますが,やがて新道と旧道との分岐点(@)へ。ここでは,枯れた立ち木に直接刻字。左は新道で,展望がいいとか。右というか正面の山道は旧道です。距離は旧道の方が短いのですが,展望がいいという案内に惹かれて新道へ。ところがこの新道,新しくできた道ということですが,あまり歩きやすいという道ではないようです。踏み跡程度の道が谷を横切るように延びています。ところどころ,崩落気味で,新道というにはちょっとイメージが違います。展望ポイントをまわるようにして作った新道ということでしょうか。それにしては,全然展望がよくないような…。

谷を横切り,正面の尾根に上ると,松木の間から少し展望が開けています。ようやく開けた展望に喜んで尾根を進むと,今度はやせ尾根ポイントへ。この尾根からの展望はすばらしいものがあります。この展望ポイントのためにだけ新道を開いたのでしょうが,その労力に見合うだけの価値はあります。しばらく,展望を楽しむことにしましょう。尾根を吹きぬける風は爽やかで,汗がひきます。やっぱり,山はこうでなくっちゃあ。

展望を楽しんだあとは,正面の急登です。せっかくひいた汗がまたもやドバァ〜!しかたのないことですが。道はやがて谷を横切るように進みます。どうやら,上に見えるピークに直接登るのではなく,ピークを巻くようにして登っているようです。そして,稜線へ。ここにも案内板がかかっています。観音山は左に,内倉洞窟は右に行けばいいようです。当然,我々は左へ。

杉林の中の観音堂

道は稜線を外れ,ピークの東を巻いています。行く手に平坦な杉林が見え,その中に五輪塔が見えます。観音堂(A)はその薄暗い杉林の中です。板塀の小屋ですが,中は広く,この観音堂の説明書きもありますが,暗いので何がなんだか状態です。小屋のまわりには,礎石が残り,昔はこの平地にかなりの規模の建物があったことが想像されます。それにしても,こんな山の上に建物を作ってどうするねん?登るだけでも大変だギャ。まさか,ここで生活していたということはないでしょうねぇ。

  
五輪塔 観音さん
五輪塔
観音さん

先ほどの分岐点に引き返し,今度は内倉洞窟を目指して稜線歩きです。ランチタイムは過ぎているので,原チャリパワーのS田さんは,ひるめし〜!と叫んでいますが,こんな木立の中はイヤです。もっと展望のいいところでということで稜線を進みますが,それらしいところはなし。こうなれば,内倉洞窟で朝倉高清の気分を味わうかぁ。

稜線は,想像以上のアップダウンです。しかも,急な道には木で作った階段が設けられています。立ち枯れの木には「内倉洞窟」のペインティングも。そんなにしなくても…という気もしますが。稜線は木々に覆われ,展望はありませんが,木々の緑がきれいです。吹く風も爽やかで,下界の蒸し暑さとは無縁です。

スリル満点内倉洞窟への道

やがて,案内板( ポイント24 内倉洞窟へ 西に下り 南に約100M )が出現。内倉洞窟へは,そのまま稜線をたどっても行けそうですが,ここは案内板に従って稜線から外れるルートで行ってみましょう。洞窟から稜線にも行けるでしょうから,ちょうど周回できてええガヤ。ところがこの選択が…。

トラロープを目印に下りますが,すぐに道は夏草で消えてしまっています。ロープを頼りに進んでいくと,水で濡れた岩場が出現!これは大変!足を滑らせると数mは滑落です。ビビリながらどうにかクリアー。次は急斜面のトラバースです。足元はズルズル。この頃には雨が降り始め,さらに滑りやすくなっています。ピピピ〜ンチ!トラロープにつかまりながらようやくクリアー。こりゃあ,洞窟への正規ルートやないなぁ。

  
内倉洞窟への道 洞窟の下の岩場
内倉洞窟への道
洞窟の下の岩場

どうにか急斜面をクリアーし,岩場の下へ。見上げると,大きな岩場の上には洞窟がありそうな雰囲気です。ルートは,岩場を回りこむようにして,急斜面を登っています。その急斜面の上に立つと,洞窟があります。正確には洞窟へのすき間があります。高さ50cm足らず,幅1mほどのすき間をほふく前進しなければいけません。そのすき間からはみ出すと,岩壁から落下ということになります。左手の岩壁に気をつけながらほふく前進。

洞窟と展望岩場

ズリズリズリと這い回り,ようやく洞窟(B)へ。入り口の狭さとは違って,四畳半ほどの広さがあり,高さも1.5mほどあります。真中には祠が設置されていますが,朝倉高清一族がここで隠れ住んだ頃にはもちろんなかったはず。それにしても,この洞窟で住んだって,ホント?と言いたくなります。たしかに雨露はしのげますが,地面にはアリ地獄がいっぱい。もちろん,虫もいっぱい。しかも,水場はなし。洞窟の端で寝ていて寝返りを打つと岩場から転落。何を食って,どうやって生活したのでしょう。

  
内倉洞窟へほふく前進〜! 内倉洞窟の中 注:写真の人物は朝倉高清ではありません
内倉洞窟へほふく前進〜!
内倉洞窟の中 注:写真の人物は朝倉高清ではありません

我々もこの洞窟でランチタイムを考えていたのですが,展望の悪さと鬱陶しい雰囲気に嫌気がさし,他の場所を考えざるをえません。再び,匍匐前進で洞窟から這い出し,上の岩場を目指します。ここからはアルミの梯子がかかり,ルートらしくなっています。そして,洞窟の上の岩場へ。この岩場からは展望もよく,気持ちのいい風も吹いています。早速,ランチにしましょう。

いつものようにコンビニ弁当にそばを食し,食後には汗をかきかきホットコーヒーをいただきます。食後しばらくの間,展望を楽しみましょう。西には旧美方町と温泉町との町境の山並みが続き,ニューおじろスキー場も下に見えます。北に目をやると,久斗山とその周辺の山々の間から日本海も見えます。その右手には三川山をはじめとする神鍋の山々が見えます。その昔,朝倉高清さんはこの景色を見ながら再起を誓ったのでしょうか。ただ,案内板を読む限りでは,朝倉高清さんは平氏が滅びるといとも簡単に源氏に寝返りを打ち,その結果,この地方を掌握したということですが,これはどうなのでしょう。臨機応変に振舞えということを教訓として残したのでしょうか。それとも,人生に必要なのはpolicyじゃなく,要領だということを教訓として残したのでしょうか。いずれにしても,この朝倉高清さんって人は,生活力があったということは確かなようです。

  
旧美方町と温泉町との町境の山並み 観音山と久斗山方面
旧美方町と温泉町との町境の山並み
観音山と久斗山方面

帰りは楽チン

汗がひいたところで,下山にとりかかりましょう。まずは,稜線に出なきゃあいけません。そのためには,支尾根を登り,さらに稜線へ。このあたりはいたって平凡な山道です。もしかすると,この道が正規ルートなのかもしれません。そして,稜線に登りきったところが内倉山ということですが,あまりピークらしいピークではありません。ということは,内倉山は他の所?でも,この奥のピークは1029だしねぇ。地形図でこのあたりを特定するのはちょっと難しそう。

稜線に出ると,あとは分岐点まで下るだけです。途中にいくつかピークがあり,登り返しもありますが,下り基調なのでどんどん進みます。ポイント24を過ぎ,木の階段を下り分岐点( 分岐点 ←峰山観音(北東へ約300m)・(南へ580m)内倉洞窟→ )(C)へ。ここからは旧道を下ることにします。この旧道は,観音堂への参道で,はっきりとしたきれいな道ですが,木立の中を下っているので,ほとんど展望はありません。と,いきなり道が消えています。???付近を捜したのですが,結局は道なりのまま草ヤブを突き抜けることで,山道が現れてきます。夏場ということで草が茂ったために山道が見えなくなったということのようです。やれやれ。

  
緑の尾根道 山登りの〆は水遊びやね
緑の尾根道
山登りの〆は水遊びやね

再び,山道を下ると,あっけなく新道との分岐点(@)へ。やはり,新道と比べると,旧道の方がかなり距離が短いようです。植林の中の道を下り,棚田ポイントへ。さらに下って滝に近づく頃に,小雨が降ってきました。振り返ると,先ほど歩いた稜線は白くかすんでいます。きっと雨が降っているのでしょう。我々はなんという運の良さ。悪運強しというか,

ここは,美方町実山(字 岩月)   朝倉高清の内倉洞窟と峰山観音堂があります
伊勢神宮所蔵の「但馬にしかた日記」(1557年)によると,「実山」はさ称やま村といわつき村の二つの村であったことが記されており,朝倉高清が再起まで隠れていた内倉洞窟と,これを称える峰山観音堂を村人たちは約800年にわたって大切に守り続けている。
平氏が,一ノ谷の合戦(1184年)で源氏に敗れたとき,朝倉高清は平氏に加担したために源氏に追われ,ここ七美郡小代郷(美方郡美方町)実山の内倉洞窟を隠れ家としたが,翌年3月平氏は壇ノ浦で滅亡し,朝倉一族の将来の夢は断たれてしまった。
しかし,10年後の1194年源氏の三浦介義村に伴われて鎌倉へ行き,源頼朝から怪獣の白猪を射止めたことと源平合戦での武勇を認められ,但馬一円の領地を賜ることになった。高清は,本領安堵し離散していた朝倉一族を再生させ,繁栄の道を歩むこととなった。(「朝倉高清伝記」1471年越前朝倉氏家伝記)
高清は,1204年から2年間で城山城(美方町忠宮)を築城し,一族から次の三者を小代郷へ送り,生活を安定発展させた。
   八木七郎入道見阿 宮の前遺跡を建設
   田公四郎左衛門尉景典 城山城主
   井上六郎(左高) 実山に帰農

 

出発10:30  新道旧道分岐点11:20  新道展望やせ尾根11:35  稜線11:45  観音堂11:50  旧道分岐点12:05  内倉洞窟12:35  展望岩場ランチタイム12:50〜13:30  下山終了14:50


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