金山400年の歴史に思いをはせて 宝引山(2005.9.25)


  
P・@〜D
P・@〜D

Wのお楽しみ

兵庫県の金山として有名な中瀬で400年フェスティバルが開かれるそうな。ふだんは見ることのできない貴重な資料はもちろん,もしかすると鉱山跡の見学会もあるかも。これは,行かないテはありません。でも,鉱物採集はできそうにないとか。これは残念です。ならば,金山祭りだけならすぐに飽きそうなので,近くの宝引山にも登ってみましょう。幸い,『たじまハイキング』に,記録があるので大丈夫でしょう。ということで,金山祭りと山登りとのWのお楽しみです。でも,どちらが主なのか…。

雲の多い空を見上げながら,まずは宝引山へ山登りです。下山後は,金山祭りです。祭りのために設けられた駐車場(P)に車をとめ,山歩きの準備です。時間が早いからか,駐車場には2台しかとまっていません。リュックを背負い,いざ出発。まずは,すぐ近くの金昌寺に向かいます。この金昌寺の横の小川に沿って延びる山道が登山道のようです。

谷を埋め尽くす石垣群

歩き出してすぐに,新しい木の橋があり,その向こうに砂防ダムがあります。登山道の標識は一切ありませんが,この谷を上ることは確かなので,歩きやすそうな道を選んで進みます。道は小川に沿って続いていますが,小川を渡る数回。しだいに植林の中へ入ります。薄暗く,雨が上がったばかりだからでしょうか,草はぬれています。S田さんはスパッツを着けているので足元はぬれないようですが,ところによっては草が背丈ほどもあるので,レインコートが要りそうです。

湿っぽい植林の中を進み,時には草のトンネルをくぐり,徐々に高度を上げていきます。道がわかりにくいところがありますが,基本的には谷を上るので,谷から出なければ歩きやすいところを選べばOKです。それにしても,薄暗く湿っぽく展望のない植林の中の道は,全く楽しくありません。花でもあればと足元を見渡しても,全くなし。S田さんは,自分一人なら引き返していたと言っていますが,その気持ちがわかります。なんで,こんな山をハイキングコースとして紹介したんやろうと,ちょっと疑問。

植林は,以前は棚田だったようで,谷全体に石組みが残っています。中瀬地区は,こんな狭い谷にも田んぼを作らなければならないほど平地が少なかったのでしょうか。それにしても,これだけの石組みを作るのにどれだけの労力が必要でしょう。機械のなかった昔の人たちの苦労は,機械に頼りきっている現代の我々には想像を絶するものがあります。しかし,それほどまでにして作られた棚田には,今では米の代わりにスギが植えられ,さらにそのスギの植林も荒れ放題。これも時代の流れというものでしょうか。諸行無常,是生滅法,生滅滅己,寂滅為楽,…チ〜ン。

展望のない登山道

薄暗い谷を上り詰めると,今度は谷を横切るように道が延びています。谷を過ぎ,正面の尾根に上ると,鞍部(@)です。あたりにはマーキングのテープがあちこちに張られ,ここから尾根に上るように案内しています。ただし,山道はさらに水平に延びているので,この山道が地形図に書かれたルートのようです。地形図では,もう少し先で尾根を上るようになっていますが,ここはマーキングに従って進みましょう。

  
一つ目の鞍部 二つ目の鞍部
一つ目の鞍部
二つ目の鞍部

道はすぐに谷を横切り,尾根を上ります。この尾根は地形図通りの急斜面です。2〜3日前から秋らしくなり,気温も低くなっているのですが,すでに汗だくです。尾根には,ボブスレーコースのような溝が続いています。この溝は人工的なもののようですが,いったい何のために作られたものでしょう。???何かを滑り落としたようでもありますが,では,何を???ナゾです。

急な尾根を上っていると,足元にはイワカガミのつやつやした葉が目立ちます。また,ところどころに,秋の味覚であるキノコも見えます。白いキノコ,灰色っぽいキノコ,赤いキノコもあります。もちろん,それらが食せるかどうかは,知る由もなし。…残念!

展望のない木立の中で,喘ぐような急登が続きます。それにしても展望のない登山ルートです。登り始めてからずっと木立の中です。これで山頂に行っても展望がなければ,もう悲惨です。とはいうものの,この先もずっと展望がなさそうな…。

ようやく,2つ目の鞍部(A)に到着。ここから左右に道が延びていれば,帰りはその道で下ることができそうです。が,左右には植林が広がっているだけで,道らしいものはなし。ということは,今日の山登りは,ピストンコースになるのかなぁ。それもちょっとつまんねぇ。せめて,一つ目の鞍部から尾根を下るという別ルートを行きたいものです。

2つ目の鞍部からも急登が続いています。疎林の中の踏み跡をたどりながら,高度を上げていきます。途中には,またもやボブスレーコースのような溝が見えますが,それは東の谷に消えています。こんな山の中でも踏み跡や道らしいものがあるなんて,ホント不思議ですねぇ。いったい,何のための道なんでしょう。

  
三つ目の鞍部にて 山頂直下のササ原
三つ目の鞍部
山頂直下のササ原

山頂はササの海

上りの勾配が緩みだすと,山頂直下の3つ目の鞍部は間近です。ササをかき分け,鞍部(B)へ。鞍部には,ミズナラなどの大木が点在していますが,あいかわらず展望はなし。山頂まではもう一息です。しだいに高くなるササをかき分けて進みますが,ササのために踏み跡すらわかりません。しかし,ササは密生しているわけではないので,かき分けて進めば問題なし。緩やかに上る斜面を登りきり,さらにもう少し西に進むと三角点(C)があります。まわりには,プレートがいくつかかかっています。全く展望のない山頂は,悲しいものがあります。何のためにここまで登って来たんや?

記念撮影を終えると,さっさとランチポイントへ。三角点から少し下った地点です。ササがなく,狭いながらも広場のようになっています。山頂は,じっとしていると寒いほどです。ぬれたTシャツを着替え,ウインドブレーカーを着て,ちょうどいいぐらいです。山頂を吹きぬける寒風に秋を実感します。ランチには,ざるそばよりもこうどんです。食後のホットコーヒーも,これまで以上に美味い!

  
宝引山三角点にて 今年も秋の味覚が…
宝引山三角点にて
今年も秋の味覚が…

下山は別ルートで

ランチを終えると,早速,下山です。上ってきた時と同じルートなので,目新しいものはありません。滑る足元に注意を払いながら,ひたすら下るのみ。なんだか,今日の山歩きはむなしささえ覚えてしまいます。山を登るには,まずはMTBで乗れるかどうか,次に大パノラマ,その次はスリル満点の岩場,それからちょっとした見所があるかどうか,そんなことがポイントとして上げられるのですが,今回の宝引山は,残念ながら,それらのどれにも該当しません。ふもとから見ると,きれいな三角形の山容なのですが,実際に登ってみるとなんだかなぁ…。

一つ目の鞍部(@)に下り,ここから登りルートとは違うルートを下ることにします。つまり,このまま尾根を南下しようというのです。上りの時の谷あいの薄暗い植林の中は,陰気すぎます。尾根なら,少しは展望もあるでしょうという楽観的な予想です。ただ,ふもとまで道があるのかなぁ。

尾根を少し下り,進路を西に修正。谷を越え,西の尾根へ。このあたりは,踏み跡はあるものの,下草が茂っているので,少し歩きにくい。ただ,ところどころで開ける展望がせめてもの救いです。とはいえ,大パノラマにならないのが悲しいところです。下るにつれて,大きくなるふもとの騒音。やがて,その騒音の中に太鼓の音が混じって聞こえてきます。400年フェスの氷ノ山太鼓の音でしょうか。

  
下りも急だギャ〜 下界が見えるドォ〜
下りも急だギャ〜
下界が見えるドォ〜

尾根は徐々に急になり,やがて激下りになります。このまま直接道路に出るのは無理っぽいので,右手に寄ると,大日寺の境内(D)が見えてきます。そして,下山終了。さて,いよいよ,今日のメインである400百年フェスに行くドォ〜!

四百年フェスティバルへ

着替えを終え,早速,400年フェス会場の中瀬体育館へ。受け付けまであって,資料もいただけます。体育館の周りには,軽食の売店や砂金すくいのテントなどがあり,トロッコの乗車体験もできます。展示は体育館の中です。早速,おジャマすることに。

入り口は坑道を模した造りになっています。入ると,いきなり金塊!ガードマンがいないのでレプリカのようです。その脇では,中瀬鉱山の歴史を伝えるビデオが放映されています。壁面には,中瀬鉱山の年表や昔の鉱山の絵などが掲示されています。ふだんは知ることのできない貴重な資料です。それらの資料を見ながら,昔を懐かしむお年よりの姿も見られます。

  
金塊が…!? 金は重たいドォ〜
金塊が…!?
金は重たいドォ〜

中瀬鉱山は,金山として有名ですが,実はアンチモンの採掘量が多かったそうです。アンチモンは,戦時中は潜水艦のバッテリーに使われたそうで,貴重な金属だったようです。今では,プラスチック製品やガラス製品の消泡剤の原料として使われているそうです。金山だからといって,金だけを採っていたわけではないんですねぇ。

  
金鉱その1 金鉱その2
金鉱その1
金鉱その2
  
金鉱その3 輝安鉱
金鉱その3
輝安鉱

輝安鉱脈(黒色部分)
中瀬鉱山は金だけでなくアンチモンの鉱山でもありました。アンチモンは中国では金の弟と書き共生する金属であることを表しています。黒色の鉱石と母岩との間にある白い鉱脈(石英)には多くの金が含まれています。

悠久の時を越え 今,よみがえる黄金のまち
今から432年前,天正元年(1573年)八木川中瀬大日寺の傍らで因州の旅人が砂金を発見した。
これをきっかけとして 日本有数の金山である中瀬金山の歴史が始まった。

  
中瀬金山四百年フェスタ
中瀬金山四百年フェスタ

 

古い歴史に支えられた鉱工業の山「中瀬鉱山」
1.産出鉱物の展示にあたって
古くより金山として栄えた中瀬鉱山より産出した天然の鉱物が,どのようにして出来たかということは,学問上ではよく調査・研究されてきています。しかし,私たちの一般生活の中では,なかなかお茶の間の会話にまではのぼらない特殊な世界の産業とされてきた,というのが実情ではなかったかと考えます。このたび「中瀬金山四百年フェスタ」が開催されるに当たり,中瀬鉱山で算出した「鉱石(役に立つ石)」が,地球資源の貴重な産物として,人のくらしの発達のために,その金属文化の一翼を担った資源であることを観ていただきたく,ここに主なものを,標本として一堂に展示しました。
2.産出鉱物とその成因
 私たちが日本の足で立つ大地と呼ばれるその表面は,各種の「岩石」でつくられています。その岩石はまたそれぞれ名前のついた「鉱物」の集合からなっています。地球の大地をつくる天然岩石の中で,役にたつ鉱物を含んだものを「鉱石」と呼んでいます。また鉱石が密集して含まれている所を鉱床といい,この鉱床から鉱石を採掘することを産業としている場所を鉱山と呼びます。鉱物の出来方は,次の三つのタイプに分けられています。
@火成鉱物=地下深い場所で,マグマ(岩しょう)に近いところに出来るマグマ鉱物,→だんだん上昇して固化する気成鉱物,→地表近くになって固化する熱水鉱物,の順に出来ています。
A水成鉱物=風化鉱物,沈殿鉱物,有機鉱物。
B変成鉱物=熱変質鉱物,動力(広域)変質鉱物。
中瀬鉱山の鉱石は,@の化成鉱物に属し,中でも熱水成鉱物に分類されます。
3.中瀬鉱山の鉱石(火成鉱物)
中瀬鉱山の鉱石(火成鉱物)は,地球の内部にある熔融流動体(マグマ)が,結晶したり固まったりして出来る鉱物群ですが,特に地表に近い位置まで上昇してきて,温度や圧力が下がってきて出来る鉱物です。マグマに起源をもつ水や循環水は,熱水として地殻中の割れ目を移動します.熱水中に熔融されている種々の鉱物成分は,熱水の供給源であるマグマから離れて,地表へ地表へと上昇するに従って温度や圧力が下がります.熔融点の高い鉱物から次第に結晶固化してゆきます。
例・輝水鉛鉱(モリブデン),鉄マンガン重石(タングステン)→硫枇鉄鉱,方鉛鉱→黄銅鉱,黄鉄鉱→鉱石鉱物は,上記の例のように,かなり規則的な鉱床分布を示します。

  
分布模式図
分布模式図

 


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