保育園の裏山といえども侮れん!上山(2006.9.10)

  
P・@〜B
P・@〜B

天気予報では,雨模様。せっかくの日曜日なので,このまま家に引きこもるのはもったいない。とりあえず,近場のお山に行きましょうということで,S田さんと合流。最悪,日岡山でもいいかなと思っていましたが,S田さんは城山の西尾根を探検しようといいます。まぁ,それなら,日岡山よりも山らしくていいかなぁと同意。ただ,昼まで天気がもってくれるかどうか。それに,城山の西尾根は,ヤブ漕ぎの可能性大です。途中で雨が降り出せば,こりゃあ大変だギャ。

いつものような弁当は買わず,飲み物とおやつを買い,城山に向かいます。城山に近づいた時,突然,S田さんが「あっちのアンテナのある山に行こうかぁ?山頂近くに岩場もあるし。」ヤブ漕ぎ必至,展望望み薄の城山西尾根よりはマシでしょう。アンテナ山に予定変更!

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上山八幡宮
上山八幡宮

登リ口は,保育園の裏です。保育園の駐車場(P)に車をとめ,出発です。まずは,目の前の上山八幡宮へ。祠の奥に岩場が見えます。左手の谷は墓地になっており,その奥にはレンガ造りの煙突がそびえています。おそらく,火葬場でしょう。もちろん,今は使っていないのでしょうが。

岩場を登ると,標高は70mほどのピーク(@)ですが,西方向の展望が開け,高御位山や高山,大藤山が一望できます。ここだけでも散歩のし甲斐のあるピークです。ただ,ふもとから数分しかかかっていないので,運動にはなりませんがね。

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高御位山が一望
高御位山が一望

岩場ピークで展望を楽しんだあとは,ピークを反対側に下りましょう。と,なんと!尾根がいきなり切れ落ちています。ど10mほどの幅で尾根が削り取られています。はて?先ほどの墓地から登ってきた谷に続いているようですが,ここをわざわざ掘る必要性は,どやさ?!

  
削り取られた尾根 ヤブを抜けて岩場を登る
削り取られた尾根
ヤブを抜けて岩場を登る

ガケを避け,一旦,谷へ。そこから尾根に上り返します。上りといっても,標高差は数mほどです。問題なのは,道があるかどうかです。まずは,踏み跡らしき隙間をたどり,尾根へ。踏み跡は,尾根をそのまま登るのではなく,尾根を北側に巻いています。荒地に出ると,尾根は東に見えています。道らしいものは…?

荒地から尾根に取り付きますが,潅木と腰までのシダが尾根をおおっています。あちこち探すものの,踏み跡すら無し。やむ得ず,尾根の中央部を突き進みます。シダだけならいいのですが,サルトリイバラやネズミサシのとげとげがイッテテェ〜!散歩程度の山登りと侮ったのが大失敗。ハーフパンツなので,膝から下が引っ掻き傷だらけ。愛用の便スリじゃなかっただけでもマシかも。しかも,しかも,クモの巣もあちこちにスタンバっています。この時期の低山に付き物とはいえ,やっぱりイヤな物です。

どうにか登りつめた小ピーク(A)を三角点ピークと思ったのですが,三角点が見当たりません。東の尾根を見ると,行く手にアンテナピークが見えています。ということは,三角点ピーク手前の小ピークということです。南に下ると,小さな岩場があります。南方向の展望が開け,沿岸の工場群。その向こうには,家島群島の島影がうっすらと見えています。これまた超低山とは思えない展望です。

  
展望岩場に立つ ヤブに突入!
展望岩場に立つ
ヤブに突入!

さて,ここから三角点ピークまでは踏み跡があるでしょうか。尾根に戻って見ると,それらしい踏み跡は無し。ヤブにはの空間すら,ありません。仕方がありません。強行突破あるのみです。それにしても,こんな超低山でも,道がなければ強敵です。当然のことですが,道の有無は,標高に関係ありませんよね。潅木の枝をかき分け,シダを押しのけ,とげでバリバリ。クモの巣,べっとり。すでに汗だく。一時的に雨が降ったものの,すでに汗でびっしょりなので,濡れたってヘッチャラさ。

山頂手前の最後の上りも,強引にヤブ漕ぎ。いきなり視界が広がると,アンテナピーク(B)です。三角点は,手前の草の中に。アンテナは,NHKの中継アンテナのようですが,なぜか,手前の木に最高最低温度計がぶら下がっています。電気コードが切られているので,この施設は使われていないようです。ゴミを払い,腰を下ろし,コーヒータイムにしましょう。

遠雷の音を聞きながらコーヒーをいただきます。今日は雨模様だということですが,今のところ,空は明るく,雨が降る様子はありません。でも,最近の雨は,いきなり豪雨となることがあるので,侮れません。事実,このあと,昼すぎから加古川は豪雨となりました。

  
三角点 山頂のアンテナ
三角点
山頂のアンテナ

熱々のコーヒーをいただいたあとは,下山です。下山は,アンテナの管理道を使えば簡単でしょう。アンテナピークを少し下ったところに,管理道らしいものがあります。今では,草におおわれ,道とはいえないものです。もしかすると,これは道じゃなく,荷揚げ用のケーブルが設置されていた跡かもしれません。かなり急な斜面を下りきると,急に緩やかな谷道になっています。車が通ったであろう轍がかすかに残っています。おそらく,この谷道まで車で運び,先ほどの急斜面はケーブルで運び上げたのでしょう。

  
谷道に下る やれやれ下山
谷道に下る
やれやれ下山

谷道の出口には,草で隠れていますが,1mほどの溝があります。気づかずかなければ,大ケガになるところでしょう。溝に渡している鉄の橋?を渡ると,目の前は背丈以上のブタクサです。歩くにはそれほどジャマにはなりませんが,あまりいい気はしません。ブタクサをかき分け,溝を再び渡り終えると,耕作地の端(C)に出ます。イノシシ捕獲用の鉄檻があり,中には餌のサツマイモと竹輪があります。その向こうには,まき餌の糠が盛られています。あんな小さな山にもイノシシがいるのでしょうか?

あぜ道を抜け,車道に出ると,保育園まではたったの5分足らず。あれだけ苦労して,汗だくになったヤブ漕ぎは,何だったのでしょう。それにしても,今回の山は,手強かった。地図で見ると,標高は100mほどしかなく,なんでもないような小さなピークですが,久しぶりに激ヤブを堪能しました。足も傷だらけ。とんだお散歩登山になってしまいました。低山といえども侮りがたしです。

出発8:20   @9:00   A9:35〜10:10   B10:35


 

今日こそお散歩登山 日岡山(2006.9.17)

  
@〜C
@〜C

九州に台風が接近し,今日も,雨のようです。とはいえ,朝食を終えると,青空が見え始めました。???昨日同様,結局は雨は降らんのかい?

では,ということで,用事のついでに日岡山にお散歩に行くことにしましょう。

グラウンド側の駐車場に車をとめ,日岡山を目指します。公園をぶらぶら歩いていると,いろんな人がいるのがわかります。ジョギングの人,お散歩の人,犬の散歩の人,東屋でおしゃべりを楽しんでいる人。公園って,やっぱり,憩いの場なんですねぇ。

散歩のついでに花の写真を撮ろうと目論むものの,肝心の花がありません。秋の花の時期にはまだ早いのでしょうか。ぶらぶら歩きながら,最後の急坂を登ると,日岡山山頂(@)です。三角点(50.9m)があり,その脇には登山記念のプレートまであります。山頂から少し南に下ると,展望のいい岩場があります。南に開け,加古川の町並みや高御位山が一望できます。山頂の展望台が閉鎖されてしまったので,ここが一番の展望ポイントかもしれません。

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日岡山の三角点
日岡山の三角点
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日岡山山頂直下の岩場からの展望
日岡山山頂直下の岩場からの展望

聖徳閣跡
おおぜいの方々に親しまれております日岡山展望台は,昭和11年7月,多木化学株式会社の創始者である多木久米次郎氏によりこの地に「聖徳閣」を建てられたことに始まります。
聖徳閣は日岡山の丘の山頂を床面として,東南の傾斜面に応じて切石積の基礎支柱を施し,鉄筋コンクリートの入母屋造瓦葺平屋建,周囲は回廊式という壮大な建物でありました。
ひとたびこの堂上に立てば東に六甲摩耶の連峰を望み,南は洋々たる播磨灘と紫にけむる淡路島を目のあたりにし,西は遥か西国路に続く平野を見おろすことができたといいます。
第二次世界大戦中は付近に尾上陸軍飛行場をはじめ軍の重要施設があったために防諜の見地から聖徳閣に上ることが禁じられましたが,終戦後二代目社長多木三良し氏が父久米次郎氏の遺志を襲ぎ,加古川市制となるのを機に昭和25年6月12日に聖徳閣を加古川市に寄付されました。
昭和41年,兵庫県が同地に「(財団法人)野外活動協会」を設置し現在の「OAAはりまハイツ」が建設されましたが,聖徳閣は基礎を残し現在の姿に変え文化教養施設として利用し,屋上部分は展望台として広く一般の方に開放されております。
「聖徳閣」建物概要
  施主 多木化学株式会社 多木久米次郎氏
  工事着工 昭和10年10月起工
  工事完了 昭和11年7月完成
  建物構造
  入母屋造瓦葺平屋建の建築物
  建坪 150.8坪                 開口 15.07m(8間635)   
  奥行き 37.75m(17間462)       軒高 4.06m    
  柱は円筒形 2.05m(円周)         切石積の基礎支柱(鉄筋コンクリート)
  周囲は回廊式                   高欄をめぐらせている         
  屋根瓦は普通品の4倍半の特製品     懸魚は全部銅板張り

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在りし日の聖徳閣
在りし日の聖徳閣

山頂から少しにしに下ると,日岡御陵があります。宮内庁の管轄で,立ち入り禁止の立て札と有刺鉄線がまわりを取り囲んでいます。御陵の中を見ると,きれいに整備されています。誰が整備しているのでしょう。宮内庁から派遣?宮内庁からの委託?宮内庁の外郭団体?それにしても,単なる言い伝えを基にして造ったであろう日岡御陵をここまで保存しなきゃあいかんのかねぇ。

日岡御陵
この御陵は,明治16年4月14日姫路総社の神主庭山武正の考証にもとづき,宮内庁において第十二代景行天皇のお后稲日太郎姫陵と決定されたものである。
稲日太郎姫(播磨風土記では印南別嬢)は,若建吉備津日子命の娘で,景行天皇はるばる大和から妻どいされ,皇后になられた。
その後,年を経て稲日太郎姫は亡くなられ葬送の儀がとりおこなわれた時,遺体を天の鳥舟に安置して印南川(加古川)で渡御の儀式が行われた。この時,河は増水して濁流が渦巻き,更に大風が起って天の鳥舟は,姫の遺体と共に濁流に呑まれて,しまった。その後必死に遺体の行方を求めたが,遂にわからず,ただ匣(くしげ)と褶(ひむれ)だけが見つかり,これを墓に葬ったと伝えられており,“ひれ墓”とも呼ばれている。
なお,この御陵は古墳時代前期の前方後円墳であるが詳細は不明である。
      平成2年6月      加古川市教育委員会

わがまち加古川50選  日岡御陵
日岡公園内にある大きな前方後円墳が,日岡御陵です。景行天皇の后,稲日太郎媛のお墓だといわれています。皇太后が亡くなられた時,日岡山へ葬るために遺体を乗せて印南川(加古川)を渡っていた時,大きなつむじ風が吹いて船は転覆しました。後に「ひれ」と「くしげ」だけが見つかり,これを葬ったので,「ひれ墓」とも呼ばれています。眺望がすばらしく,秋になれば日岡神社への参道には萩の花が咲き誇ります。

褶(比礼)墓
播磨の国で生まれ育った美しい印南別嬢は,景行天皇の皇后として何年間かこの地方で生活されましたが,歿くなられたので尸を乗せて加古川を渡る時,舟が沈み尸を見失ってしまいました。探したが見つからず仕方なく,身につけておられた匣(くしげ)と褶(ひれ)だけが拾えたのでこれをお墓に埋めました。
それで日岡山上の御陵を「褶墓という」と播磨風土記は伝えています。
               加古川中央ライオンズクラブ  1986年春5周年記念建之

  
日岡御陵 西大塚古墳
日岡御陵
西大塚古墳

山頂に戻り,テニスコートに向かいます。テニスコートの周辺(B)には,古墳が点在し,日岡山古墳群とよばれています。ただ,見た目には単なる土の小山に過ぎません。古墳群の向こう(C)は,記念樹園になっています。今日は,山登りに来たのでパスです。

西大塚古墳
古墳の規模は,全長約74m,後円部の直径約40m,同高さ約3.5m,前方部高さ約1.5mの前方後円墳です。周囲には,幅10mから15mの濠が周っていたと思われます。
墳丘の南側は土取りにより,大きく破壊されています。埋葬施設についてはよくわかっていません。また,周濠からは円筒埴輪の破片が採集されています。周囲の古墳との関係から,4世紀頃に築かれた古墳と考えられます。
        平成16年3月  加古川市教育委員会

テニスコートからサッカー場の上部へ。遊歩道を進むと,その先には展望所(A)があります。元は配水池だったそうですが,北と東に展望ポイントがあります。ベンチもありますが,その脇には配水池のころの残骸もあります。

日岡山展望所(旧日岡山配水池)
昭和32年に加古川市水道局の日岡山配水池(有効容量1800立方m)として完成し,自然流下により加古川町方面へ配水していました。
現在は,公園として整備され,見晴らしのよい「展望所」として親しまれています。

                  大野町内会  氷丘まちづくり実行委員会

  
日岡展望所 平荘方面の展望
日岡展望所
平荘方面の展望

展望所から遊歩道に戻り,あとは下るだけ。サッカー場の駐車場に戻ると,サッカーの試合中。以前のような土のグラウンドではなく,人工芝です。今では,国際規格の人工芝コートもあるそうですが,やっぱり管理が楽だからでしょうね。

ぶらぶらと散歩をしただけですが,汗をかいてしまいました。そういえば,まだセミが泣いていたなぁ。日岡山は,まだまだ夏なのだ。


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