大晦日 世間の騒ぎをよそに 山遊び 増位山・広峰山(2000.12.31)


  
P・1〜8
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20世紀の総決算

2000年の大晦日,今年最後の山遊びwithMTBとなりました。同行は,大晦日にもかかわらずヒマな?S田さんです。今回は,姫路では有名な山,増位山と広峰山です。ふだんだとハイカーが多いのでしょうが,今日は大晦日,しかも朝から雨模様です。ハイカーはそれほど多くはないでしょう。こんな日でなければ,人気スポットをwithMTBで歩くことはできないでしょう。

今回は,ゴール地点の須加院に車をとめ,増位山の登り口までリエゾンです。登山口を探っていると,地図にある破線らしき地点に到着。ところが,これが大間違い。地図といっても,この時に持っていたのは昭和51年発行の「古地形図」だったのです。あとで調べると,新しい地図ではこの破線はありません。しかも正規の登山道がはっきりと記されています。ということは,つまり,「古道」をたどったというわけです。熊野古道がブームになっているとはいうものの,増位山の古道までたどることはなかったのにね。

古道探訪ルート

ハイキングコースがあるはずだが…という予想をよそに,「古道」の取り付きを探します。小さな神社,小玉神社(@)の裏にそれらしいシングルトラック(ST)が伸びています。ここでSTを発見できなければ,正規のハイキングコースに向かったでしょう。が,幸か不幸か,このSTを「古地図」の破線と確認。急な尾根を登ります。ハイキングコースにしては,標識もありません。おそらくハイキングコースは,地図にはのっていないのでしょう。事実,そういうことは時々あることです。この古地図にのっているのも,登山コースの一つでしょう。そんなノー天気な予測で進みます。

ところが,しだいに道は踏み跡になり,担いだMTBに木の枝や草が引っかかるので登りにくくなってきました。枯れ枝をどけ,草を強引に引っ張り,MTBを担ぎながら徐々に標高を上げます。振り返ると,眼下には姫路の町並みが広がっています。東には,ガスの上に加古川や加西の山々が重なって見えます。ちょっと雲海?

ところが,ところが,展望がひらけるにつれて道はいよいよヤブに突入。お約束?のヤブ漕ぎです。2000年の最後,20世紀の最後を飾るにふさわしい?山歩きwithMTBになってきました。MTBを強引に引っ張り上げ,枝を払いのけ,足を滑らせながら登ります。そして,ついに東尾根ハイキングコースに合流。なんのことはない。ハイキングコースを登っていれば1km,約30分ほどで快適に登れたものを,ヤブを漕ぎ,ドロドロになって約1時間。ウ〜ン,恐るべし!増位山!ちょっとハードな古道探訪のルートでした。

増位山

ハイキングコースに合流(A)すると,楽勝です。MTBに乗車すらできます。さっきまでのヤブ漕ぎが強烈だっただけに,もうそれだけで感激です。苦あれば楽ありってところでしょうか。こんなに乗れてもいいのか!なんて思っていると,分岐に到着。とりあえずは,増位山山頂へ。山頂からは,東方向への展望が開けています。が,山頂には弁当ガラが散乱しています。マナーの悪さに立腹!

「播磨なる糸の細道わけゆけば砥堀に見ゆる有明のみね」 在原業平

  
増位山から加西・加古川の山々 随願寺本堂
増位山から加西・加古川の山々
随願寺本堂

再びハイキングコースに復帰し,分岐(B)着。ここからは,右手にそうめん滝へのコース,左手に随願寺へのコースが続いています。有明の峰,素麺滝の説明板もあります。

有明の峰
この峰は増位から素麺滝の分かれ道で近畿自然歩道のコースとなっています。
増位山随願寺の本堂から約500mほど東南で有明の峰と呼ばれる景勝地です。
眺望は絶佳市川の清流と近郷を一望することができます。
山頂には大きな岩で造られた石槨があって古墳のあとだろうといわれています。
仁明天皇の承和元年(834)増位山随願寺の鎮守としてこの有明の峰に伊勢両宮の分神を勧請したといわれています。

素麺滝
砥堀の西山麓に権現山古墳があり山合いの渓流を少し登ると“素麺滝”と呼ぶささやかな滝があります。滝の上流下流には大小さまざまの岩石が横たわりその間を清流が流れています。何でも昔,姫路城の殿さんが上流から素麺を流して下流でそれを食べたことがあるといわれがあるのでこの名がついたともいわれています。
この渓流は増位山壬弥高山に源を発していますが今でも年中ハイキングや若いカップルの散策でにぎわっています。

随願寺

植林帯の中の増位山への道を進みます。薄暗く,深山の趣のある道です。姫路城主榊原政邦と夫人の墓所に到着。石門の立派なお墓です。梅林を過ぎ,本堂(C)に着くと,車がとまっています。?ここって,車でも来れるような所かいなぁ。それなら車道を上がれば,数十分だったのに…。

増位山 随願寺
随願寺は,聖徳太子の命により高麗層・恵便(えべん)が開山し,のちに行基が中興したもので,市内では書写山円教寺と並称される名刹。
寺伝によれば,はじめ法相宗であったが承和元年(834)に天台宗となり,古今を通じて皇族・貴族・武士の信仰が厚かった。平安時代に諸堂が整備され,山上には36坊もあった大寺であったが,天正元年(1573)別所長治に攻められ全山を焼失,天正13年に秀吉が再興した。江戸時代,姫路城主・榊原忠次が当寺を菩提寺とし,再建・整備に努めた。

姫路城主 榊原忠次の墓所
榊原家は譜代大名のなかの名門で,俗に徳川四天王の一つに数えられた。なかでも忠次公(1605〜1665)は,文武両道にすぐれた人格者で,姫路城主としての17年間にも随願寺の再建をはじめ数々の治績をあげて名君と称された。
この墓所は,寛文5年(1665)に長子の政房によって立てられたもので,忠次公の生前の功にふさわしい風格を備えている。面積は約1100u。
碑文は朱子学者の林恕(鷲峰)の撰によるもので,長文で名高い。榊原家の系譜をたどり忠次公の生い立ちから館林白河(福島県)の藩主を経て慶安2年(1649),姫路の城主(28代)となるまでの経緯,存命中の業績など彼の一代記が約3000の文字に刻まれている。この文を一字の誤りもなく読むと,碑石の「カメ」が動くという伝説がある。

車道が下に延びていますが,近畿自然歩道の表示に従って進みます。暗〜い道を過ぎると,再び車道へ。なんのこっちゃ。降りた所は,蛇が池。周りはきれいに整備され,ここまでは車道は舗装されています。広い駐車場には,タイヤとエンジンの音をうならせて走り回る車が1台。大晦日だというのに,他にすることがないんかぁ。人のことは言えんけど。

  
榊原忠次の墓所 広峰神社
榊原忠次の墓所
広峰神社

広峰神社

蛇が池から西尾根に登ります。西尾根ハイキングコースも,乗車可能の快適コースです。今までが今までだっただけに,感激ものです。苦あれば,楽ありってところです。快適なハイキングコースは,そうめん滝から合流する一本松峠を過ぎると,しだいに高度を落とし,谷へ。標高差80mの急な斜面を登ると,目の前にトイレが現れます。それらしい香り?もしてきます。広峰神社(D)のある広峰山です。

広峰神社
遣唐使として中国へ渡った吉備真備が,奈良時代の天平5年(733年)に創建しました。本殿と拝殿は室町時代中期に建築され,国の重要文化財に指定されています。その他に,県,市の重要文化財に指定されています。
広峰神社は,京都の八坂神社の本社
貞観年間(876年),畿内外に10余年にわたり疫病が大流行して死人数知れずと言われ,清和天皇の夢枕のお告げにより,広峰神社の御分霊を京都にお迎えして祈願されると疫病が鎮まり,都の人々は大いに喜び盛大な祭をしたのが祇園祭の始まりであり,それによって建てられたのが八坂神社です。

広峰神社はお正月の準備の真っ最中です。休憩所からは,姫路の街が見えますが,今日はもやっているのでそれほどきれいには見えません。境内には,大きな木があったりで,歴史が感じられます。

自然歩道は,北に続いています。しばらくすると,廃屋があります。20年前までは住人がいたであろうその家は,朽ちかけています。この辺りには,他にも何軒かの家があったと思われる形跡があり,井戸の跡もあります。この辺りの住人は,神社関係の人たちが住んでいたということです。広峰神社まで車道が通っている今では,ここに住む必要が余がなくなったのでしょう。でも,道の脇には新しい電柱がたっています。?です。

学問の神 吉備神社   火災難除けの神 荒神社 
←神社へ350m ←氷室池から山富へ 空港予定地から奥須賀院へ

さらに自然歩道を北進すると,319の分岐(6)に到着。

近畿自然歩道 氷室池2.3km 吉備神社・荒神社0.5km 広峰神社0.9km

少し北進したところで左の尾根に入ると,空港予定地の観測所があります。簡単な柵の中には,展望のよさそうな足場が組んであります。その先には風向計がくっついています。電柱はここに電気を送るためのものだったようです。ここで昼食にすることにしました。展望のない,曇り空の下でのランチはチョットわびしいものがあります。

須加院への道

昼食を終え,これから自然歩道を離れます。表示板には,この先は整備されていないから…なんてことが書かれています。が,いきなり快適な落ち葉の道です。今までの自然歩道よりも走りやすい道です。気分よく走っていると,右手の木々にプレートがかかっているのが見えます。幟まで立っています。近寄ると,空港建設反対のプレートです。この辺りが空港予定地になっているようです。

播磨空港いらへん! 市民の会 共有地
この土地は広峰山に計画されている播磨空港を作らせないための一口地主の共有地です。
お問い合せは,播磨空港いらへん市民の会 土地共有化事務局0792-88-1734

その先には墓地がありますが,ここには空港建設のために墓地を撤去するというお知らせがかかっています。懲りない兵庫県です。但馬空港で,あれだけの失敗をしておきながら,播磨空港を作ろうというのですから。税金の無駄遣い,業者癒着,さらには自然破壊と批判されても仕方がありません。まぁ,こんな山奥に墓地があったって来る人はいないでしょうが。

  
快適な尾根道 Fのピーク
快適な尾根道
Fのピーク

快適なシングルトラックは,さらに続きます。こんな山奥に,こんな快適な道があるなんて,オドロキです。320からは尾根は送電線を離れ,小さなアップダウンが続いています。さほど展望はありませんが,MTBで走るには楽しい道です。307のピークを過ぎ,Fのピークへ。ここは,夢前町,香寺町,姫路市の三つ境界のピークです。ここからは,よく事件のある?暮坂峠への尾根が派生しています。らしい表示もありますが,かなりアップダウンの激しいコースのようです。急坂を降りると,そうめん滝と鍵の谷池との分岐に出ます。

やっぱり巡視路

高圧線の巡視路は正面のピークをまきながら,鉄塔に続いています。ここからは,ピークへ道がありますが,時間もあるので探検。東の尾根を登ります。うまくいけば,境界線沿いに295のピークへ行き,それから207,そしてその尾根を東に下るルートが発見できるかもしれません。が,その目論見は,しばらくして頓挫。境界線沿いは踏み跡はあるものの,MTBに乗ることは不可能です。ましてや,境界線からそれるとまったくのヤブです。仕方がありません。撤退です。(×)

もとの高圧鉄塔からピークを登り,巡視路を進みます。途中で,谷間にある鉄塔への道もありますが,急な上に荒れているのでパス。巡視路は尾根道をたどりながら,しだいに高度を下げ,最後の鉄塔へ。須加院の集落が眼科に見えます。最後の鉄塔からは,急斜面を滑るように下り,集落(G)へ。

今回は,古地図探訪,歴史探訪,そして現代の社会問題探訪など,多様なコースとなりました。過去の歴史的な事柄はともかく,これから論議される播磨空港建設については,要注意です。


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